先日、こたつを買いました。
奥様が欲しがってまして。

いろいろ悩んで、結果、400wの小さめの石英ヒーターのものにしました。
400wでも十分温かいですね。熱いくらいです。

部屋に設置したら、急に部屋が和んだ気がして。

「出どこがそうだからだよ」

と奥様に言われました。

そうだよね。
結婚した当時は6畳の居間と4畳半の寝室だけ。
居間にはテレビやらパソコン、冷蔵庫まで置いたうえに今のより大きなこたつがありました。
そりゃ狭いの何のって。

でも部屋の広さなんてどうでも良かったのでした。


少し長めの入院生活を終え、退院時は「入院バブル」とでも呼ぶべき多額の保険金を手にして変貌を遂げた部屋。
全てのものが新しくなっても、そこは何だか寂しい空間でした。

「また入院しちゃうかもな」

体力に自信が持てなかった頃。
その時に取り組んでいた仕事は「先10年は食える仕事」で「青森県でだったらこれ以上大きい仕事無いよ」って言われた仕事。

そんな仕事の取りかかりでダウンした自分は今後先やっていけるのか?
今よりキツかったらまた倒れるのでは?

悲観的なものの考え方しかできなかった自分は、非常に楽観的なものの考え方をする奥様と出会い、あっさり結婚。

「あたたかな希望」を感じさせてくれる奥様。
荒れていたうちの家族を「良い方向」へ導いてくれました。
どんな時も「何とかなるよ」って言ってくれる奥様に出会えたからこそ今の自分がある、という事は間違いありません。

人生、「思った通り」になります。
悲観して「道が無い」と思っていればその通りの心持ちとその通りの人生になり、楽に「何とかなる」と思っていればその通りの心持ちとその通りの人生に。

心持ち・考え方一つで人生は変わります。一瞬で。
そんな変化をもたらすのは間違いなく人との出会い。それは、たぶん運命であり必然。

奥様に対して忘れていた事、たくさんの感謝すべき事、妻のために働く理由、今とこれからを生きる理由。いろいろと思い出しました。


あれから12年経った今、花をたくさん飾ることが出来る広い部屋に自分と奥様、更に子供たちがいて。
大きな家、立派な家・部屋はそれはそれで良いでしょうが、狭くてこたつのある部屋に家族が密集している姿は幸せで温かで、何か大切なものがある様に思いました。

そっか。自分も小さい頃そうだったな。
6畳一間に両親と兄弟3人。デパートに勤めてた親父が買ってきたこたつでみんな温まって。「幸せで温か」だったな。確かに。



えーと。

こたつ一つで哲学チックワールドに突入してしまい、大変失礼しました。

出どこの話をしてた奥様は、こたつに貼り付いていて、心地よくなって昼寝&うたた寝し過ぎです。買って良かったのやら悪かったのやら・・・。

posted @ 23:27 feedback (2)
今日は完全に休んでました。
しなければならない事もあったのですが、たまにはいいだろう、と。

遅く起きて遠くへ行って、家族で遊んでました。
好きなもの食べたり、好きなことしたり、紅葉を撮影したり。

リフレッシュ ですね。

何も考えないでダラっと一日。

帰ってからも夕食を近くの店に食べに行ったり、晩酌の酒とおつまみを買い込んだり。

奥様とゆっくり話をしながら酒を飲んで、ダラダラしてました。
その奥様は隣で寝てたりして。

たまにはイイですね。

息抜きは大切 という事で♪

明日は頑張ろう~!!

posted @ 00:29 feedback (0)

という話らしいですね。来春コンサートとか。

「ギターを憶えよう」と思ったキッカケになったのが「X」です。
初めて憶えた曲が「紅」という曲。

ヴォーカルがアッチ系に染まってフヌケて解散になったりドラッグの話もあったり(あったっけ?)、解散したり復活したりメンバーが変わったりと、HM/HR系バンドによくある退廃的な人間模様が展開される様は、「なんだソレ」と思いつつも非常に共感できるものもあったりしたものです。

「オマエは走り出す 何かに呼ばれる様 俺が見えないのか すぐ傍にいるのに」

「オマエ」って自分の事で、「俺」が愛そのものや愛すべき人、夢みたいな事でしょう。
呼んでいる対象は「欲望」や「妬み」の類でしょうか。
子を大切に想う様な見返りを求めずひたすら与える「愛」は、時に愛してほしくて大切に思って欲しくてたまらない「欲」、「与えている」つもりが「求めている」状態に変わったりします。

「紅に染まったこの俺を 慰める奴はもういない もう二度と届かないこの想い 閉ざされた愛に向かい叫び続ける」

欲に満たされ愚に染まり、呼ばれるままに「そちらへ行った」自分を、自分で許せない。当然、慰めてなんかもらえない。
わかっていても心は愛と誠に向かっていて。その事は、そういう状態になってようやく理解する。遅いけど。
絶望の淵、手を差し伸べてくれる誰かを待っている。

でも彼はいつか気付くはず。

手を差し伸べてくれるのは「オマエ」 即ち自分自身である、という事を。


って、彼らがそんな事思って綴られた言葉かどうかはさておき。


んー 懐かしい。

で、久々に聞いてましたとさ。


今は、何があっても家族は味方してくれます。
幸せなんだな、自分。 などとあの頃とを比べてみたり。


posted @ 10:41 feedback (0)

ずー っと3階層モデルでシステムを作ってきました。
2年前にVS2005が出た時、DataSource系コントロールが追加され、それは2階層モデルでの開発を薦められている様でした。

「初心者向けの機能なんだな」

と、その頃は思ってましたので使ってきませんでした。
使う事はあっても、「カユい所に手が届かぬ」感じだったので。

でも、先日「その」機能を「きちんと」使ってコーディングしてみたら

「恐ろしく速く」システムが出来上がって。

Validate付きのデータエントリ→一覧表示→詳細な検索機能

のシステムがものの1時間ちょっとで出来まして。

使わない手はナイダロ、と。


「3階層」というカタチに拘ってシステムを作ってきた訳ですが、それは「速く作る」「手軽に作る」という事に向いていない事、気付いてはいたのですが。
「拘り」を捨てなかったばかりに遠回りしていたかな、と。

その事に気付いた時、次期バージョンの開発環境に向き合おうとする「想い」がようやく沸いてきました。

※「想い」とは、「新しいオモチャで遊びたい」系のアレですが


で、VS2008の評価を調べてみたら、一様に「速い」と。

最近のトレンドはコレですね。「速い」事。

AdobeもCS3になったら速くなったし、今新しくなっているセキュリティ系ソフトの売りも「速さ・軽さ」だったりします。


自分も、もっと「速く」出来る事に重きを置かなければな、と。

忙しさにかまけて「受けたらすぐやる」「速い」自分はどっか行ってたな。カッコワル。 と気づき。


posted @ 19:19 feedback (0)

先日、そういう本の話がテレビで取り上げられてました。

「品格ある女性は、○○○○の無い人にも平等に接する」

というクイズみたいなものが出題されてまして、正解は「利害関係」だったのですが。

利害関係の無い人に対して無神経だ ってのは、女性の品格どころか人間としてどうなんだ?と思ったり。そもそも人間関係において「利害関係」で線引きする事自体おかしいと思うのですが。

また、「花の名前を知っている」事も品格の形成に通じる、などとも。
これは納得でしたが。
(お花を知らない女性に「花を習っている」的な事を話した時、多くの場合
「あ・・・私も花は好きで・・・」的な焦りの反応を示すのはこの事の裏付けという事で納得)


総じて「奥ゆかしさ」的な事が「女性の品格」である様に説かれている様で。

でもその通りですね。
例えば理知的であったり、カリスマ性があったり、容姿が美しかったりしても、奥ゆかしさが無ければいやらしく映ります。

それは歳と無関係で。
若くても品のある人は素敵だし、ずっと年上でも品性を感じる人はやっぱり素敵です。

ついでに、「女性」の品格と題されてますが、ほとんどの場合「性」は関係無い事ばかりだな、とも思いました。

エレガントを目指そうぜ♪ という事で。


posted @ 20:38 feedback (6)
単焦点レンズを手にして気付いた事です。

恐らく、多くの人はコンパクトでも一眼でもズームを以下の様に使っていると思います。

①撮りたい場所に移動する
②ズームで画角を決める
③撮る

でも、基本はそうではなく、

①ズームで画角を決める
②撮りたい場所に移動する
③撮る

が正解だと思います。
露出を決める事(絞りとシャッター速度を決める事)は解ってても、現在の「標準」がズームレンズである事や「○倍ズーム」なんて宣伝文句にある為に、「ズームとは被写体との距離を調整する為」だけにある、と理解している人がほとんどだと思いました。(自分もそうでした)

これはたぶん、一眼で単焦点で撮っている人だけが理解する事だな、と。
理屈を一言で言えば、焦点距離を決めるとは遠近感の出方を決めるという事ですが、この事を「理解」するまでとても時間がかかりました。

奥深き写真の世界。

とりあえず、みんなで50mmを一本持っておこう!(その前にカメラが必要ですね)

posted @ 19:15 feedback (1)
思った通りになるものは自分自身だけ。

友達はもちろん、家族・夫婦・子供でさえ自分の思い通りにはなりません。
話したり伝えたり表現したりする事はできても、最終的にどうするかは本人の意志次第です。

家族や大切な人に背中を向けられたりしてつらくなった時、その事を痛感します。

人に対して 「だからどうしたい?」 的な問いかけをする事、よくありますが、気持ちが弱くなった時、同じ事を自分に問いかける自分がいます。

「だからどうしたい?」

気持ちが落ちている事すら、自分でそうしたくてそうしているだけ。
たまに落ち込んでみたい。

そういう事ですね。きっと。

まさしく「思った通り」になってる訳です。

posted @ 18:59 feedback (0)
EF-Sレンズのフラッグシップ EF-S17-55mm F2.8 IS USM買いました。
とある作品撮りにEF50mm F1.4 USMを買ったのですが、作品の展示会場が思いのほか狭く、本番の展示場所によってはフレームに収まらないと判断した為です。物欲に対する理由付けでも何でもなく、試し撮りの結果「狭くて暗い場所で広角撮りが出来るレンズ」が必要になった、と。

これがまた予想以上にデカくて重いです。
バッテリーグリップとストロボを装着したEOS 30Dは2kg近いのではないでしょうか。

でも、巷の噂の通りIS(手ぶれ補正)の効き目は抜群です。
テレ端でも1/10を切るシャッター速度でもブレません。これはほんとスゴイ。

フェリー埠頭

↑ちょうど1/10秒、しかもF2.8開放で手持ちで撮ったものです。
全く絞らないのにこの解像感・・・
キレイですね~ 腕ではなくて完全にレンズのチカラですが。

とにかくISが強力で、明るさも「通しでF2.8」なので絞り放題、ピントはもちろん背景のコントロールも自由自在、広角から標準的な画角までだったら意のままに表現する事ができる素晴らしいレンズだと思いました。
ほんと値段分の価値があります。恐れ入りました。

が、

当たり前と言えば当たり前ですが、恐るべし単焦点。
美しく蕩ける様なぼけ味とピントがキテいる部分の解像感の対比は、F2.8が限度のズームレンズでは表現不可能な領域です。ありがたや。


(※とか言いつつ絞りはf3.2)

「新しいレンズを手にするという事は新しい表現を手にするという事」

ホントですね。
焦点距離と明るさ云々ってハナシでなくて「表現手法を買う」みたいな。

ハマりますな・・・。

posted @ 20:33 feedback (0)
_MG_0133

同じ太陽と海を夏に見ると夏っぽく見えますが、この時期のはこんなカンジで。

そろそろ冬ですね。

エネルギーを蓄積する季節でしょうか。

蓄積して腹が出たので泳ごうと思ってプールに行ったら休館日でトホホでしたとさ。

posted @ 23:01 feedback (0)
影2 ガラスの撮影という事で、どんなものかなと思いながら数枚シャッターを切りました。

写真を見てからですが、「光と影を撮る」なんて言いながら、「光」ばかり撮っていた今までの自分に気づき。

人間関係において、影の部分・闇の部分は触れるべきではない訳ですが、表現という領域においては避けるのではなく歓迎すべき事かもな、と。

人生においてもほとんどの時間は苦しみ。
楽しい明るい時間なんてちょっとしか無い訳で。

「花」の存在はその事を逆説的に示してくれます。

が、直接的に示したり表現したりする事もできるかな、と。「苦」をカンジさせる訳ではなく。
新しい伝え方かもな、と。


思えば、渡し、相談事を割と多く受ける方だと思うのですが、相談内容は大抵「心の闇」みたいな部分に触れる様な事だったりします。
自分が上を向いていたとしても相手と同じ気持ちになるには影や闇を見なければなりませんし、比較的(?)見てきた方かな、とも思います。

今まで気付きませんでしたが、そういう自分は影と闇を見る事にはちょっとだけ長けているかも知れないな、と。
人とは違う風に影と闇が見えるのかもな、と。


ちなみに、写真はガラスのオブジェ「ひかりのはな」という作品です。
敢えて影を主題にする為にモノクロで仕上げてみました。 

主役は影ですが、美しい部分は光の部分。
でも、影があるからこそ光が美しく映える訳です。
光が美しいからといって、全て光、即ち真っ白けだったら写真でも何でもない訳で。

posted @ 10:32 feedback (0)
うまそう

先日、鹿角にて物産祭りが行われてました。
比内地鶏の焼き鳥がうまそうでした。

いや、食ったらうまかったですけど。念のため。

以上

posted @ 01:02 feedback (2)
先日(今日も)、新プロでまおまおが舞いました。

より長くなった手足を使ったたおやかな舞。

以前、ジャンプやスピンなどのエレメント以外ではスケーティングの滑らかさが際だっていましたが、今期は一味違いますね。
演技構成全体に渡ってスキなく表現出来るまでに進化していました。

小さな妖精の舞 というよりは 神々しい乙女の舞 みたいな感じでしょうか。

それでいて「しっかり回ってから降りる」美しいジャンプはそのままで。

練習量はハンパでないでしょう。
ハンパでない練習をしなければあそこまで安定した演技をこなすことは無理でしょう。
当然、どっかケガしたり痛めたりしてるでしょう。

でも、そんな「ツライ練習」や「ちょっとした故障」なんか少しも感じさせずに、美しい演技と爽やかな笑顔を世界中に魅せる訳です。


だいたい、


演技を見た後は泣いてますね。

SPでコンビが抜けた事。
競技として見た場合はミスかも知れませんが、演技として見た場合は否定のしようがない完璧なまでの芸術品です。

天才と呼ばれる人は、間違いなく「努力をする事の天才」で、「努力をしている悲壮さを感じさせない」人の事だと思います。
そういう人がする事は、普通の事であっても感動を与える訳で。


そんな感動を憶える理由は、「君もそういう人になる事が生きている目的」っていう事が脳味噌の深い部分に刻まれている、という事の証拠。
別に、世界の人々にとって感動を与える存在にならなければいけない って事ではなくて。
たった一人に対してでもそうであれ って事 だろうな、と。


まおまおは実にいろんな事を教えてくれます。(ただの妄想ですか?)

posted @ 21:19 feedback (0)
単焦点レンズの話です。

焦点距離が固定されている場合、被写体との最適な距離は被写体の大きさによって異なります。
小さい被写体であれば寄って撮れますが、大きい被写体だと引かないと収まりません。当たり前ですが。

「この位の大きさの被写体だったら、この位の焦点距離で撮る」

という感覚はズームレンズを常用していると身につかない感覚だ、と思いました。
フレーミングの為に自分が動かなければなりません。

自分が動く事によって、被写体との距離・被写体と背景との距離が変わります。
即ち、奥行きを表現する為の「属性」が変化してしまいます。

実に難しい けど、絶対に「上手くなる」には単焦点を使いこなす事だな、と。

また、最初から18-200mmのレンズを1年以上常用していたのですが、単焦点レンズを手にした事で、
「単焦点レンズは、その画角に関して最高の表現ができる」
という事を知りました。

篠山紀信が
「今のカメラは簡単にキレイな画が撮れるから、職人と呼ばれるプロは減っていくよ。みんな下手になっていく。今の時代のカメラの職人なんてボクくらいだよ」
みたいな事を写真誌でコメントしていたのを思い出して。

確かにそうですね。
ズームレンズが当たり前。オートフォーカスも極めて当然。AEが露出を決定してくれて。

パソコンも同じ。
CUIをいじくってネットワークを組んだりトラブルを解決できる人は時代と共に減っていて。

「便利になる・簡単になる・進化する」って事は面倒な部分をブラックボックス化する、という事。
ブラックボックスの中身を知っていて、ブラックボックス自体をいじくれる人が「職人」。
ブラックボックスはブラックボックスとして恩恵に預かるのは「ユーザー」。
道具の性能を極限まで引き出す為にブラックボックスを空けるのは当然の事。

表現者・芸術家 と、職人 は近いのかも知れません。
世間はそういう人を「バカ」と言うかも知れません。
「商売なんだから」「経営者なんだから」手っ取り早くヤレって言う人もいるでしょう。

でも、プロの極みはアマチュアのハートと行動。
追うべきものは夢であってカネではないはず。

商売・経営という方法を使って、自分を表現する って事。
たぶん、それが資本主義システムという世界において、一番リスクが高くて一番ステキな生き方。
そんな生き方をしている人が間近にいる事で、自分を信じる事も出来て。


single focus - 一途でそれしか出来ないけど、その道に関しては最高なヤツ

カッコイイですね。尊敬というかステキですね。
たかが道具。
でも、そんな「ステキな人」と同じ魂を宿している訳です。


ただ、


単焦点レンズって異様に高いのであんまり買えませんね。チャンチャン

posted @ 23:47 feedback (0)

日夜発生するトランザクションを蓄積。
日毎の取引、商品毎の取引を一覧で出してチェックしたりして。

時代は変わってCRM。
顧客間にリレーションを張ったり所属を登録してみたりして。

最終的に必要とされるものはいつでも同じ。
「2次元の集計表」

ポケットや鞄からホログラムを投影できるモニタでも取り出せない限り、
最良の出力媒体は2次元のモニタであり紙であり、それ以上は無い。


現在、蓄積されたデータは企業なり個人なり至る所に存在している。
日々利用する業務システムがそれであり、住所録もまたそれであり、
家計簿やケータイやデジカメで撮り溜めた写真もまたそれである。

「情報が氾濫する世の中」

という概念は誤り。
大量に存在しているデータの分類・利用に対する関心と利用技術が
薄かったり遅れていたりしているだけ。


全ての情報をデータと見なし、クエリする事が出来たらどれだけ素晴らしいだろう。
しかもただのクエリではなく、行列変換・集計を伴う事が出来たならば。

そこ、オブジェクトデータベースやらXMLやら、実現可能なインフラが存在
していても、インプリメントには至っていない。


ひょっとして、Googleが目指している様な

「人類の叡智をITによって集約・表現する」

事の本当の姿って、そんな事なのかも知れない。

つまり、Googleは最終的にはハズレ という事。


突き詰めて最期に辿り着く場所は、ジャンルに関係なくいつでも同じ。


※とか言いつつ、表題の答えは「2次元の集計表」という小さめの答えだったりして。


posted @ 03:10 feedback (0)