「結婚して何年だっけ?」
「んーと 12年くらいかな」
「えー 長いよねー よく飽きないでいられるよね」
「そう言えば夫婦観の話で、【飽きる】事を口にした独身女性で、結婚した人を見た事無いな」
「・・・・」
「あら、ショック??ハート剔っちゃった?」
「・・・だから結婚できないのかなー」
「その通り」とは言いませんでしたが。
夫婦も親兄弟も家族。家族に「飽きる」なんてあり得ない話。
って理屈を知ってもどうにもならないのが乙女心でしょうか。
恋に恋するもの良いけど、結婚もネ♪
なんて話してるうちに酔っぱらって帰って寝てました。
今週はあと2回飲みです。がんばれ肝臓!
posted @ 16:17 feedback (4)
久々だったので、1発目は「おっかね」って感じでした。
乗った事より何より、
「フック無いので、アンカーに【もやい】で結びつけておいて下さいね」
と言われ。
尚、「もやい結び」って、船のロープワークの基本中の基本です。
出来ない奴は帰れ って程の。
が、もやい結びってどうやるんだっけ?? と。
まあ何とかなるだろうと思い、ブイブイ乗って戻ってきて、もやいで留めて・・・
できねぇ・・・
何度やってもダメ。
5分くらい格闘して、何とか結びつけましたが、それは「もやい」でもなんでもなく。
何故か、今日になったら思い出しましたとさ。
予習・復習してから乗りなさい。ハイ。
posted @ 23:17 feedback (1)
今年、初めて野菜を植えてみました。トマトと西瓜(小玉)とトウモロコシ。
トウモロコシはダメでしたが、トマトは鈴なり、西瓜は写真の通り、塀にからんだつるから実が下がっています。今のところ(一苗から)5個ほど実をつけています。
でも、「西瓜は肥料をたっぷり与えないと甘くならないよ」と聞いてまして。
食ってもうまくないのかなと思い、食べ頃になった実をひとつ食べたのですが。
西瓜! でした。
まともな西瓜になっていました。ろくに世話もしていないのに。
なんて素敵な土なんでしょうか。
でも、来年はトマトとバラを育てようと思っています。
バラはまだ奥様許可を得ていないので、これからじっくりと説得段階に入ろうと思います。
で、そのバラ。
白いバラを買ってきまして、窓の側に置いてみました。
生け方はともかく、強い斜光によるコントラストと、水の透過光、千代谷家的な所帯じみた背景 ってナカナカ良いなと自画自賛。スイマセン。

こちらはくしゃくしゃ花びらのトルコギキョウ「コサージュ」という品種だそうですが、光の当たり具合がちょっとダメですね。

今日の夜は友人らが来てBBQの予定です。
「彼女」らは友人らを優しく出迎えてくれるでしょうネ って空中西瓜の話どこ行った。
posted @ 09:05 feedback (9)
「今、3ヶ月くらいですね」
と、聞きまして。
逆算すれば、ちょうどその頃、彼らのホームページを制作したり、お宅にお邪魔してネットの設定やらをさせて頂いたりの時期です。
「お子さんはまだですか~」
「まだですよ~」
なんて話してた頃です。
ひょっとして、あの頃に会ったり話したりした事がきっかけになって、「作ろう!」って思い立ったのだとしたら嬉しい限りです。ちょっとイイ事した気分ですね。
ちなみに、妊娠すると食の好みが変わったりするものです。
うちの奥様は何故か「煮干し」をやたらとかじってました。
その事を聞いたら、「ハッピーターンを食べたがる」と。
何でも、毎日近くのコンビニでハッピーターンを仕入れているとの事。
「それって怪しまれますかね~」
いやいや、怪しまれるかどうかより、君のあだ名が「ハッピーターン」になってるよ、と。
君の姿を見かけると「あ、ハッピーターンが来た!」なんて言われてるに違いない、などとくだらない話をしたりして。
元気な子が生まれればイイですね!!!
posted @ 16:23 feedback (0)
先日、テレビを見ていたときに
「悟る っていうのは、気付く っていう事なんですよ。たいそうな事ではなくて 気付く って事なんです」
みたいな事を言っている方がいまして、かなり納得しました。
現代用語で「気づき」なんていう言葉。
でも、本質は「気付いたからどうなるか どうすべきか」って事だと思いました。
渡しが思うに「気づき」というものは、「困難を受け入れる事が出来るようになる」事だと思います。
「人を救う」という事がどういう事かと言えば、「救われたいと思う程の困難を現実として素直に受け入れられる様になる」という事だと思います。
人として成長し、幸せになる為には「困難」は必要な事。
受け入れ、行動する事で、少しだけ「それ」に近づけるという事。
ちょっと立場を変えると、「悟った人」というのはどういう人かと言うと、「困難を受け入れる事が出来る人」の事だと思います。
「困難」とは言い方を変えれば「責任」。
即ち、「悟った人」とは「責任を受け入れられる人」の事なんだな、と。
修行僧などが求める「悟り」を開くとどうなるか、と。
「責任から逃れようとしていた自分に【気付く】」という事でしょう。
自分の責任、課されている事とは何か。
それは、「自分だけ」が知っています。
人は知ることができないから、それを果たさなくてもバレたり、人から何かを言われる事は無いでしょう。
だからこそ、なかなか果たせない「責任」があるのではないでしょうか。
その「責任」とは、言い方変えれば「使命」なのかもですね。
使命が何かを気付く って事も「悟る」為に必要なのでしょうね。
使命が何かを気付く ってのは、恐らく「信じる」って事。
勘違いでも思いこみでも正解だと思います。
信じてやり続ける、貫き通す。
「悟る」事で、より多くの困難・負担を受け入れられる様になり、結果、忙しくなって。
その状況を「ツラい」と思っているうちは、まだまだ全然 鼻クソみたいな状態なのでしょう。
でも、それが人間。弱々しい自分自身。
問題は「それでもヤル」か、「ツライからヤメル」か どっちか。
それだけ、ですね。たぶん。
posted @ 01:29 feedback (1)
戦争が起こればいい ってのは、彼が「上と見ている存在」に対する嫉妬でしょう。
到底、戦争が何か・どういうものか、などを真剣に考えたうえの言葉では無い様です。
「悔しいからみんな死んじゃえ」くらいの幼稚な思いに感じました。
ひとつ、引っかかったのが、
「手取り十万円強程度の仕事しかできない」
「まともな仕事に就けない事に対して、嘲笑を浴びせられる」
という言葉。
親元で暮らしているのであれば、もらった給料は全て自由なお金のはずです。
「足りない」と思っているから不満を漏らすのでしょうが、何に足りないのでしょう?遊ぶお金でしょうか?
こういう人は、何の仕事をしても、いくら給料をもらっても不満を言う事でしょう。
「自分がこうなのは、今の世の中が悪いせいだ」
と本気で思っているのでしょう。
そんな彼へ
今の世の中は、そんなあなたでも毎日ご飯を食べて生きていられる豊かで平和な世の中です。
戦争が起きると、ご飯を食べる事すら危うくなるので、戦争が希望なのであれば、ぜひご飯を食べないで過ごす事をおすすめ致します。
ご飯を食べなければ、お金は別な事に使えますので、いい事づくめです。
あなたの行いによって、あなたにとっての世の中は、すぐにあなたの思った通りに変わります。
ぜひお試し下さいませ。
posted @ 15:23 feedback (0)
前の話で書いた当事者の方の事ですが、当事者自身の「癖」がそういう結果を招いただけであって、本当は誰でも起こりうる話だと思ってます。
だから、当事者自身が「悪い」のではない、という事。
渡し自身が「裏切り行為的な事」に対して腹を立てたのは事実ですが、そこ以外は悪くは思えません。
一番悪いのは当事者に対して「被害」を与えた人物です。
「被害」を受けた当事者から、「被害についての相談を受けた」のが「この話」の発端であり、「当事者」と関わるきっかけでした。
聞くところによると、その「加害者」の人物は、過去にも別な人に対して同じ様な事をしていて、今でも「賠償」的な事を継続的に行っているとか。
「人生ナメるな」
「この話」を打ち明け、話を聞いてもらった方の言葉です。
強烈なインパクトでした。
以前にも書きましたが、
「自分が悪かったかも知れない」
「自分が悪い方に導いたかもしれない」
そんな思いが吹き飛ぶ様でした。
そうだよね。当たり前だな、と。
この話の「加害者」が行っている事は正しく「人生をナメている」事。
明らかな悪事。
事情がどうあれ悪事は悪事。
いつかは表沙汰になり、裁かれ、責任を取るべき事。
以前に表沙汰になって裁かて、償っている最中にまた繰り返したという事実。
それによって当事者間だけではなく、周りも巻き込んで精神的な負担を負わせたり人間関係の破綻を招いた事実。
周りに及んだ迷惑は、恐らく当事者はつゆ知らず。
「本人には言わないで」という「被害者」の愛情は、「加害者」にとっては「都合の良い材料」なのでしょうか。
「人生ナメるな」という言葉の通りです。
堪えて溜めておくのは辞めたので、自分で責任を取って下されば、と思いました。
posted @ 22:47 feedback (0)
以前は、あまり気にしませんでした。
「隠す事」で成り立つ関係など「偽物」以外の何者でもないと思っていたから。
でも
隠さずに表面化させる事によって、悪影響が出る人もいる訳で、それはよろしくないな、と。
だから「隠す」べきだな、と思ってた事があって。
ただ、隠す事によって、逆に自分自身及び周囲に悪影響が出ていたので、「隠す」事を辞めました。
当事者から「誰にも言わないで」「反省してます」「ごめんなさい」「もうしません」とでも言われたのであれば、それでも「隠す」べきだと思いますが、1年もの間それすら無いのであれば、もう「隠す」必要など無いな、と。
「直すべき事を直したら、当事者には言わない」
って約束は破る事になるかも知れませんが、「直した」のかなど今は解らない訳で。
「隠し事」によって自分を保つ事と自分の人間関係を保つ為に打ち明けた という事であれば尚更。
自分を保てなくなる様な事をするな、と。
分不相応な事するな、と。
繰り返しになりますが「隠す事」で成り立つ関係など、偽物以外の何者でもない、と。
表に出ても人に知られても貫けるほどの覚悟と思いがあるならばそうして下さい、と。
もし、いつか、「ごめんなさい」が聞けたら、渡しも同じように「約束破ってごめんなさい」ですね。
でも、ずっとつかえていたものがひとつ取れた気分です。
まずは、ちょっとスッキリ。
posted @ 17:04 feedback (0)
アニマ:こころの中の女性性。
男性でも女性でも持っている「理想の女性像」。
「お花を生ける」という行為は、「アニマを表現する」事かも知れません。
女性であれば、「自分の理想の姿」「こうでありたい自分」。
男性であれば、「理想の女性像」「女性に対して求める姿」。
「花の性」は明らかに女性ですが、生物学的な女性性ではなく、より精神的で両性具有的な女性性を持っていると思います。
「お花は癒し」だけでは片付けられない高い次元の女性性。
肉としてではない女性の愛し方を示唆する存在とも言えます。
深いですね。すごく。
posted @ 11:09 feedback (0)
少し前にも、プールの帰りに同じ人を見たのですが。
生まれ変わり ってあるかどうか知りませんが、以前、三輪明宏さんが、
「人は人からしか生まれ変わらない」
様な事を言っていた事をふと思い出して。
人の為に生涯を捧げる盲導犬はどうなんでしょう。
4つ足・獣は下等生物かも知れませんが、彼(盲導犬)が行っている事は「人間以上」の事です。
人間に生まれ変われたから幸せ では無いかも知れませんが、彼が希望するならば叶えられるべきだな って思いました。
「人は人からしか生まれ変わらない」
事が事実だとしても、
「絶対 という事は無い」
事も事実だな、とも。
もし、彼が人間として生まれたならば、とっても素直で純粋な人になるんでしょうね。
素直で純粋な人 って、昔はそういう存在だったのかも知れないですね。
posted @ 21:27 feedback (0)
目標が無くなる、目標が遙か先になってしまうと、やろうと思う気持ちが薄れます。
実際、仕事が非常に詰まっていた時期でもあったので、仕事で忙しいという事に託けて泳がなかったのかも知れません。
そしたら
まずは風邪ひき。しかもかなり重く、長くかかる風邪をひきました。
水泳を始めてからはほとんど風邪をひかないか、かかってもすぐに治る、が今までだったのに。
より一層泳ぎに行けなくなりまして。
次に
胸筋の負傷。
クロールとかのプル動作時、激痛が走り力が入りません。
キック練習を余儀なくされました。
今まで全く運動をしていない人が、週1回でも泳ぎに行く、となると体調は良くなるものですが、週5回以上泳いでいる人が、週2・3回に減ると体調は悪くなる様です。
回数が問題なのではなく、「習慣」を良い方向へ持って行くか、悪い方向へ持って行くかの問題ですね。
という事で、風邪も泳げば治るから、いくら忙しくても極力毎日泳ごう、と思いました。
「大会」ではない事がキッカケ というオチで。
posted @ 10:29 feedback (0)
先日、沖縄での戦争の話をテレビで見ました。
当時の人々は、軍国主義教育によって
「捕虜になる事は日本人として最悪の恥」
「捕虜になる位であれば自決すべき」
「捕虜になると耳を削がれ目を抜かれる」
そんな事を刷り込まれていたそうです。
米軍が上陸し、捕えられる事が確実となった段階で、たくさんの人々が自決したそうで。
「罪のない人々が殺されたり、悲惨な目に遭う戦争は事は二度と繰り返さないように」
「その時」に生き残った人の言葉ですが、自分もまた戦争体験者である祖父・祖母が生きていた頃は同じ事を毎日の様に話してくれました。
焼け野原 転がる死体 死肉を食らう人間
それは「地獄絵図」そのもの。
で、テレビで話してた「その人(戦争で生き残った人)」が、歴史の教科書にて「当時の日本軍は国民に対して自決を求めていた」的な文章を削除した事について、「事実を曲げて伝える事で、また戦争を繰り返すのが怖い」と。
政府・国家は、「そういう事」を平気で行うでしょう。
自分らの都合の為に事実を歪曲させるなど日常茶飯事でしょう。
良いか悪いかではなく、政治ってそういうものだと思います。
だからこそ、報道機関は国や政府に抑制・支配されずに、「民」の立場で真実を伝える権利があるのだと思います。
それが、「報道の自由」の本質ではないかと。
「戦争」は最たる例で、国や政府が戦争へ向かっても、民意と真実を伝える事で、二度と繰り返さないように。
即ち、「報道の自由」とは民主主義において、国家権力の暴走を抑止する為の、非常に重要な「国民の権利」である、と。
平和になり過ぎて、そんな事は忘れさられているのだと思いました。
現代の「報道の自由」とは「視聴率を得る為にだったら何をしても良い」という権利にすり替わっています。
もっと酷いのが、「報道の自由」は国民の権利であるはずなのに、例えば「北朝鮮は敵である」「現政権は税金を無駄遣いしている」的な、特定の社会的思想(国側の思想)を、国民に刷り込む手段として機能している、という事。
では、自分に何が出来るか。
「騙されない」 という事でしょうか。
posted @ 09:36 feedback (0)

8月7日は青森ねぶた最終日。
「なのかび」と呼ばれていて、会場運行と花火大会があり、会社が休みだったり早く終わったりする日です。
↑この事って青森市在住の方でないとわからない と今年になって気付きました。
今年は駅前のお花の教室のビルから観賞しました。
しかもビールと食事付きで。なんて幸せ。
会場のまさに真っ正面。会場運行も見えます。
花火・ねぶた・ライトアップされた橋など、闇夜に咲き誇るモダンな「光」。
古い時代から継がれてきた祭りの「今の姿」を、昔の人が見たらどう思うでしょうか。
都会の夜景と姿は似ていても、全く異なる本質。
一年に一度 ・ 世界一の祭り ・ 短い夏の終わり
華やかさ・儚さ・貫禄が同居している様なその姿。
「儚さ」を感じる事が出来るのは地元の人だけかもですね。
ねぶたが終わったら盆が来て、盆が終わればもう秋。
ほんとに暑い夏の日は2週間かそこら ってのが青森です。
来年もまた近くで見られればいいな、と思ったのと同時に、海に浮かぶ船から見たいな とも。
よく働いてお金を貯めて下さい。ハイ。
posted @ 21:25 feedback (0)
体調が優れない中の飲み会や仕事はなかなかコタえるものがありました。
何をしていてもダルく、呼吸は苦しく、頭がボーっとしてて、とにかく寝ていたい!みたいな状態でして。
ようやくほぼ完治。長かったー。
体は資本なんて言いますがほんとその通りです。悪くなって思い出すものですね。
健康で元気でいられる事がどれだけ有り難い事なのか、と。
健康で元気な人はたくさん遊んでたくさん働いてたくさん食べて っていう風でないと体壊してたり元気でない人に失礼です。
ちなみに風邪の原因は「遅寝早起き」。
人間、気力体力が切れると風邪をひく仕組みです。
夏休み期間に入ったので、朝6時半にラジオ体操→プール→仕事 っていう流れになってました。
夜、寝る時間を早めることなくそんな風にしたので、体が持たなかったのでしょう。
冷静に考えると当たり前でアホーですね。
という事で、本日は友人(の奥様?)からお誘いがあったので、遊園地とローズガーデンにお出かけ!
カメラも持って行こうっと。
ちなみに、今日の夢は写真を撮ろうと思ったらカメラのバッテリーが切れていた夢でした。
バッテリーもチェックせよ。ハイ。
posted @ 10:09 feedback (0)
社会に出てからも少しだけ接点がありましたが、ほぼ会う事もなく。
それから15年以上を経て、昨年再会。ひょんなキッカケから。
今は身近な存在になりました。
「抑えていたこと」も何か理解できて。
心を開いて打ち明けてくれた事。嬉しかったです。
そんな「抑え」を外した内面は、実に素直で純粋で、情景に対する思いを素直に言葉にする様な感性の豊かな人間。
傍目には、ろくに働きもせずフラフラしているだけに見えるかもですが、渡しはそういう面を知ってます。
働く事だけが生きる事ではない って事。
働きたいという思いがあっても働けない人もいる って事。
人は唯一のもの。人生も唯一のもの。
誰一人として自分と同じ道を歩む者はいないから、「嫌いな人」はあってはならない って事。
嫌いな人 とは、自分と違う人 の事。
ふと、そんな事を思い出しました。
「嫌いな人 とは、自分と違う人 の事」
って言葉は、渡しがHPを初めて作成して、blogが無かった時代に自分のコラムみたいなもので書いた最初の文句でした。
素直なひとのこころに触れたから、ふと思い出したのでしょうかネ。
posted @ 09:44 feedback (0)