つい先日、身内が入院しました。静脈瘤。
手術しないと寿命は1年、手術しても成功確率は低い、と。
本人の決断は「手術」。
治る可能性があればきっちり治したい。
失敗なら失敗でそれでいい。
だんだん悪くなっていく事で迷惑をかけたくない。
そんな思いで望んだ手術。
結果は失敗、というか不戦敗?でした。
手術の最終段階で「これだとどうしようもない」と判断された様です。
そのまま胸を閉じて、集中治療室へ。
3日ほど経過してから個室へ移動。
移動してからの第一声が「まくら無いと寝にくいな」。
とりあえず元気だな、と。
死に様を決め、覚悟が出来ている人間は、命の期限が告げられていても強く生きられるものです。
強くても命のリミットはあと1年。
でも、
長く生きる事が幸せな事ではないのでしょう。
与えられた命を精一杯燃やし尽くして、潔く散る、という事。まさしく花のように。
彼は、いつ亡くなったとしても、幸せな人。
最後に示してくれた、覚悟があって未練のない生き様。
何かひとつ叶うとしたら、寝たきりにならず、最後まで自分の事は自分で出来ますように。
誇りを持って生きる事ができる権利が与えられればいいな、と思いました。
posted @ 10:25 feedback (1)

少し前に「リビングフォト」という本を買いました。
リビングに置いてあるようなもの、例えばお花・食べ物・ペットなどを美しく撮る方法などが載った本です。
読んでみて納得というか なるほどねというか 頷けたのは、今まで「マクロ以外の方法で綺麗にお花を撮る方法」を考えたり試したりした結果と同じ事が書いてあったからでした。
結局はこういう事です。
上の様な写真を撮りたい方は必見(!?)
1.撮影機材
・デジタル一眼レフカメラ(機種問わず)
・50mm の明るい単焦点レンズ(F2.0以下程度:Canonであれば EF50mm F1.8 IIなど)
・レフ板(厚紙で代用可)
2.撮影方法
・窓際など、逆光状態の場所に被写体を配置する
・白い布を敷く
・(評価測光の場合)露出補正は+1程度にして明るくする
・絞りはF2.8以下で撮る
・室内であるため、ISO400程度にする事で手ぶれを防ぐ
・レフ板を使って影を消す
・被写体の全てではなく、一部を写す
あまり詳しくない人向け設定ですが、これでこの手の写真はバッチリ綺麗に撮れます。
解る人はISO感度はできるだけ低感度とし、露出補正よりは部分測光で撮ると尚良いでしょう。
また、一眼レフでない場合、「最大ズーム」で「EV+1」、「マクロモード」で撮る事で近い写真が撮れると思われます。
この手の写真を撮りたい方、お試しあれ!

※写真のサイト(http://lenz.exe-cute.net/)の方に書く話ですかね?
posted @ 20:36 feedback (0)

タイトルのまんまですが、鳩。
木に登った鳩 って珍しくないですか?

6月なのに真っ赤なもみじ。
小さい葉っぱでしたが、紅葉状態でした。なかなか良くないですか?
青い森公園に、50mm一本だけ持って行って撮りました。
その他は例の写真サイトでご覧頂けます。(宣伝?)
posted @ 15:21 feedback (0)
仕事が落ち着いた訳ではありませんが、「一区切り」と思える状態になりました。
「やらなければいけない事」だけをしばらくやってきましたが、「やった方がいい事」「やりたい事」に手を付ける事が出来ます。
で、リストアップしたらやっぱり30項目ほどに・・・
一段落した気になったのは1時間ほどでした。頑張ろう~
posted @ 10:25 feedback (0)
チームのみんなも言ってましたが「実感ないよな」 と。
今ひとつ気持ちが乗ってきません。
もすこし自分の尻をタタかないといけないのでしょうか?
とりあえず練習練習・・・!
posted @ 21:11 feedback (0)
先日の通り魔事件の話をテレビで取り上げてました。
「彼の気持ちは理解できる」「彼と同じ気持ちだ」
という視聴者からの声が多数。
だから、どうするか。
気持ちがわかるから、どうだと言いたいのか。
彼の孤独ややりきれなさがわかるのであれば、テレビで報じられた一面しか知らない彼にではなく、身の回りの孤独な人、寂しい人、悩んでいる人に何かをすればいい。
そもそも、会った事も話した事もない人、殺人者としてだけ報道された彼の事を「理解できる」「わかる」と宣うのは傲慢ではないだろうか。
「誰々の気持ちは解る」
なんて知識自慢しているヒマがあったら、親兄弟・友達・知人で同じ様に困っている人に手を差し伸べればいい。テレビ局にFAXやメールを送る必要はない。言葉も理屈もいらない。ただそうすればいい。
posted @ 20:44 feedback (0)
先日、秋葉原での通り魔事件で報道された、トラックで突っ込んだり無差別に人を刺した人物。
対峙すると恐ろしい人なのでしょう。何されるかわからない ってやつ。
体を切りつけられながらも、発砲せずに立ち向かい、取り押さえた警官。
勇敢だな と思いました。
無差別に人を殺す奴を大きく取り上げるのもいいでしょうが、そういう「悪」に立ち向かって行く勇気、最後は悪は負ける、悪をやっつける警官はカッコイイ 的な取り上げ方をすればいいのにな って思いました。
今の取り上げ方だと、子供が見てもあまり良い事は無いと思います。
せいぜい「気をつけよう」くらいでしょうか。悪く捉えれば「ああいう事をやる人もいるんだ。やってもいいんだ。目立つんだ」なんて思う子もいるかもしれません。
でも、取り押さえた警官をカッコヨク取り上げれば、それを見た子供は、そこに「現実のヒーロー」みたいなものを見るのではないでしょうか。「なんとかレンジャーとかなんとかライダーみたいな人、本当にいるんだ」という憧れや夢を抱き、大人もそれに対して希望めいたものを感じるかも知れません。
そういった憧れや夢、正義、希望のようなものが現実に存在していれば救われた気分になったり安心したりします。
そういう人を招いて、その時の気持ちやその人の信念、夢なんかを語ってくれて、ヒーロー扱いな演出を加えて番組を作れば、大人にとっても子供にとっても社会にとっても良い影響がありそうです。
「何が善で何が悪なのかは人それぞれ」なんて考え方や言葉は、そんな現実の正義の前では消し飛んでしまうでしょう。
正義の信念のもと、悪に立ち向かう勇敢な人。
カッコイイですね!
posted @ 10:43 feedback (0)

家の裏に生えていた雑草、ハルジオンです。
一生懸命手入れをしなければキレイに咲かない花なんかと違って、雑草は何もしなくてもすくすくと伸びて花を付けたりします。
雑草の生命力って凄いです。人間と違って絶対にくじけたり後ろを向いたりしません。
そういう意味では人間よりずっと偉いです。とっても自立しています。
ある人が「雑草の様に生きたい」って言ってました。
嫌われようが構われなかろうが地味だろうが、黙々とすくすくと強く逞しく生きるという事。
カッコイイですね。

こちらはつつじ。しべが「まつ毛」みたいだな っていつも思います。
マスカラでもつけてますか?

こちら対照的に無機的な感じの薔薇。
宙に浮いているみたいな。
お金も手間もかからない雑草と、お金も手間もかかる薔薇。
どちらも綺麗な花である事は変わりません。存在する意味が違うだけ。
どちらでありたいか ったら
どっちでしょうね。
posted @ 08:25 feedback (0)

活けたお花は薔薇が主役ですが、グロリオサが主役になる様に撮ってみました。
燃え上がる炎の様です@15時の斜光:居間
赤は赤でも芍薬を赤い感じで撮ったもの。

花が大きいのでもう少し絞らないとピントがキませんね。失敗。
で、撮り直し。

ピントはキましたが、ふんわり感がちょっと減ってしまいました。
んー難しい~ けどこの辺が面白いですね。写真と花。
posted @ 12:08 feedback (0)

そういう言葉ありますね。
芍薬ってホントキレイです。着物を着た凜とした女性 のイメージでしょうか。
ぶどうの様な上品な香りもシビれます。
薔薇の持つ高貴な雰囲気とはまた違う品格を感じます。
熱い情愛とかではなく、両性具有的な慈愛の様な、女性性を超えた美しさ。
芍薬と初めて対峙したのがちょうど1年前の花展。花の荘厳さに驚いて少し萎縮しました。
「対等 でないな」 と。
その時の事を思えば、いくらかカノジョとも仲良くなれた気がしました。
紋付き袴の似合う人になれば更に仲良くなれるでしょうか?
んー また新しいのを活けてみよう~
posted @ 20:13 feedback (3)

ぱっと目に飛び込んだ真っ赤なバラ、「ファーストエディション」のビビッドなトーンに合わせた花選びで活けました。
赤に赤を重ねて、カノジョの色気がより浮き立つように。ど派手で毒々しくもあるグロリオサが霞むくらいに。
カラートーンの勉強だったのですが、「インテリアを意識する」事が抜けたまま活け終えてしまいました。インテリアよりイメージ先行で ってのもアリでしょうが、それだと「説得力に欠ける」という事を学びました。
そうそう。しくじっても「学んだ」、と。失敗の方が勉強になる、と。前向きに前向きに・・・
それはそうと、今回はひとつ上のクラスのカリキュラムでした。
けっこう論理的な事を憶える必要があるな、と。
論理的・数値的な事であれば定量化・具体化する事は比較的簡単なので、お花で身につける事がより「仕事」に活かせるようになってくるな って思いました。よい展開だな と。ますます頑張ろう~!!
posted @ 19:59 feedback (0)
1つだけ、ブナ林の写真。他の作品と全く異質な輝きを放っていました。
「やっぱり」
それはその教室の講師の作品。
その写真を撮られた方がどんな人かは知りませんが、その場所でその時に感じたものが明白でした。
「神」という存在。神々しさ。
風景写真、自然の野山の写真はあまり撮りたいと思っていませんでした。
なんだか「怖い」感じがしたからです。身の丈と違うな、みたいな。
何でそう思ったのか、その写真を見てはっきりと解りました。
自然の大きさ、神々しさ、絶対的な「神」の様な存在をそこに感じるから です。
山にこもる なんて言います。
仙人 ってのも海ではなくて山の側の存在です。
日本という国の山という場所には神様がいるのでしょう。
写真を教えて頂いている先生も山の写真を撮ります。教室の先輩方も同じです。
偶然なのか何なのか、写真や花と関わるきっかけとなった方も山と登山が好きな方で、実は再来週、初めての「登山」に挑みます。
そういう事か と。
それって神そのものである恐れ多い存在が手を差し伸べてくれた、という事かもな、と。
「山に登って写真を撮る」
最初はただそれだけの事 って思っていましたが、そうではなさそうです。
花の作品にもそういうものを感じたことがあった事を思い出しました。
「すごい」というよりは「怖い」という感覚。
道を極めようとしている人や、人生を極めようとしている人。
先輩であり師であり仲間である人たち。
彼らが基準としているもの、表わそうとしているもの、伝えんとしているもの、言葉を超えて出てくるものはそういうものなんだな って思いました。
「山に登って写真を撮る」というそれだけの事ですが、自分にとって大きな意味を成しそうな予感がします。怖さより好奇心が勝っている「今」だから向き合えるのだな、と。
posted @ 23:25 feedback (1)
