先日、小さな写真展に展示されている作品を偶然見かけました。
1つだけ、ブナ林の写真。他の作品と全く異質な輝きを放っていました。

「やっぱり」

それはその教室の講師の作品。

その写真を撮られた方がどんな人かは知りませんが、その場所でその時に感じたものが明白でした。
「神」という存在。神々しさ。

風景写真、自然の野山の写真はあまり撮りたいと思っていませんでした。
なんだか「怖い」感じがしたからです。身の丈と違うな、みたいな。

何でそう思ったのか、その写真を見てはっきりと解りました。
自然の大きさ、神々しさ、絶対的な「神」の様な存在をそこに感じるから です。

山にこもる なんて言います。
仙人 ってのも海ではなくて山の側の存在です。
日本という国の山という場所には神様がいるのでしょう。

写真を教えて頂いている先生も山の写真を撮ります。教室の先輩方も同じです。
偶然なのか何なのか、写真や花と関わるきっかけとなった方も山と登山が好きな方で、実は再来週、初めての「登山」に挑みます。

そういう事か と。

それって神そのものである恐れ多い存在が手を差し伸べてくれた、という事かもな、と。

「山に登って写真を撮る」

最初はただそれだけの事 って思っていましたが、そうではなさそうです。

花の作品にもそういうものを感じたことがあった事を思い出しました。
「すごい」というよりは「怖い」という感覚。

道を極めようとしている人や、人生を極めようとしている人。
先輩であり師であり仲間である人たち。
彼らが基準としているもの、表わそうとしているもの、伝えんとしているもの、言葉を超えて出てくるものはそういうものなんだな って思いました。

「山に登って写真を撮る」というそれだけの事ですが、自分にとって大きな意味を成しそうな予感がします。怖さより好奇心が勝っている「今」だから向き合えるのだな、と。

posted @ 23:25 feedback (1)
さだきち 2008.6.9 10:19
この話をしてから、自然に触れる、見るなんかいろいろ考えてました。
山にしても、海にしても、そこで生きている、または、生かされている、ということなのかなと、自分なりにかんがえました。
言葉では言いあらはせない感じなので、いい表現が出来ませんがたぶんそうだと思います。
自分も、自然に触れると、気持ちが穏やかになるのを、感じます。
この感じる事が、大事なのではと、思ったり。
山に登ったらまたいろいろなことを見たり、感じたりするとおもいます。
山に登る時間が楽しい時間でありますように。