先日、沖縄での戦争の話をテレビで見ました。

当時の人々は、軍国主義教育によって

「捕虜になる事は日本人として最悪の恥」
「捕虜になる位であれば自決すべき」
「捕虜になると耳を削がれ目を抜かれる」

そんな事を刷り込まれていたそうです。
米軍が上陸し、捕えられる事が確実となった段階で、たくさんの人々が自決したそうで。

「罪のない人々が殺されたり、悲惨な目に遭う戦争は事は二度と繰り返さないように」

「その時」に生き残った人の言葉ですが、自分もまた戦争体験者である祖父・祖母が生きていた頃は同じ事を毎日の様に話してくれました。

焼け野原 転がる死体 死肉を食らう人間

それは「地獄絵図」そのもの。


で、テレビで話してた「その人(戦争で生き残った人)」が、歴史の教科書にて「当時の日本軍は国民に対して自決を求めていた」的な文章を削除した事について、「事実を曲げて伝える事で、また戦争を繰り返すのが怖い」と。

政府・国家は、「そういう事」を平気で行うでしょう。
自分らの都合の為に事実を歪曲させるなど日常茶飯事でしょう。
良いか悪いかではなく、政治ってそういうものだと思います。

だからこそ、報道機関は国や政府に抑制・支配されずに、「民」の立場で真実を伝える権利があるのだと思います。
それが、「報道の自由」の本質ではないかと。

「戦争」は最たる例で、国や政府が戦争へ向かっても、民意と真実を伝える事で、二度と繰り返さないように。

即ち、「報道の自由」とは民主主義において、国家権力の暴走を抑止する為の、非常に重要な「国民の権利」である、と。

平和になり過ぎて、そんな事は忘れさられているのだと思いました。


現代の「報道の自由」とは「視聴率を得る為にだったら何をしても良い」という権利にすり替わっています。

もっと酷いのが、「報道の自由」は国民の権利であるはずなのに、例えば「北朝鮮は敵である」「現政権は税金を無駄遣いしている」的な、特定の社会的思想(国側の思想)を、国民に刷り込む手段として機能している、という事。


では、自分に何が出来るか。

「騙されない」 という事でしょうか。


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