先日、テレビを見ていたときに
「悟る っていうのは、気付く っていう事なんですよ。たいそうな事ではなくて 気付く って事なんです」
みたいな事を言っている方がいまして、かなり納得しました。
現代用語で「気づき」なんていう言葉。
でも、本質は「気付いたからどうなるか どうすべきか」って事だと思いました。
渡しが思うに「気づき」というものは、「困難を受け入れる事が出来るようになる」事だと思います。
「人を救う」という事がどういう事かと言えば、「救われたいと思う程の困難を現実として素直に受け入れられる様になる」という事だと思います。
人として成長し、幸せになる為には「困難」は必要な事。
受け入れ、行動する事で、少しだけ「それ」に近づけるという事。
ちょっと立場を変えると、「悟った人」というのはどういう人かと言うと、「困難を受け入れる事が出来る人」の事だと思います。
「困難」とは言い方を変えれば「責任」。
即ち、「悟った人」とは「責任を受け入れられる人」の事なんだな、と。
修行僧などが求める「悟り」を開くとどうなるか、と。
「責任から逃れようとしていた自分に【気付く】」という事でしょう。
自分の責任、課されている事とは何か。
それは、「自分だけ」が知っています。
人は知ることができないから、それを果たさなくてもバレたり、人から何かを言われる事は無いでしょう。
だからこそ、なかなか果たせない「責任」があるのではないでしょうか。
その「責任」とは、言い方変えれば「使命」なのかもですね。
使命が何かを気付く って事も「悟る」為に必要なのでしょうね。
使命が何かを気付く ってのは、恐らく「信じる」って事。
勘違いでも思いこみでも正解だと思います。
信じてやり続ける、貫き通す。
「悟る」事で、より多くの困難・負担を受け入れられる様になり、結果、忙しくなって。
その状況を「ツラい」と思っているうちは、まだまだ全然 鼻クソみたいな状態なのでしょう。
でも、それが人間。弱々しい自分自身。
問題は「それでもヤル」か、「ツライからヤメル」か どっちか。
それだけ、ですね。たぶん。
posted @ 01:29 feedback (1)
「死」ですね。
「武士道とは死ぬことと なんとかかんとか」
昔の人って、スゴイですね。
それを、受け入れられない人は、困難から逃れる為に「ボケる」と。
納得です。