「仕事」とは誰かの要求を、責任を持って果たす事であり、これを行い報酬を得るものが「プロ」と呼ばれている。

では、例えばアマチュア写真家が、誰かから要求された訳でも責任を課された訳でもなく、「自らの意志」で良いと感じたものを写真作品として制作し、素晴らしいものとして完成させる事ができる場合。

また、例えばサンデープログラマーが自らの意志によって素晴らしいプログラムを書き上げて、誰かの役に立つような事があった場合。

これらの例は「プロの仕事」ではないのか?
責任が無いからアマチュアの行いでしかないのか?


って風に考えた事がありましたが、わかった気がしました。

昔、

士農工商

って身分制度があったそうで、これは今の世の中でもこうあるべき序列だと思います。

が、現代で一番エラいのは「商」。
序列が逆になってます。

財を得る事を目的とし、成功者の定義も財を成した者の事を指す世の中。
誰しもそんな風に染まっている、染められている という事。


即ち、何らかの手段を講じ「報酬を得る事」が目的となってしまっており、本来「素晴らしい技量や能力を持つ者」の事を指す「プロ」という尊敬すべき立場が、「多額の報酬を得る仕事をする者」を指す立場に変わってきたのでしょう。

「商」の価値観ではそれが正解であり目的となる事ですが、「工」の価値観は違います。
報酬は結果でしかなく、目的は「より素晴らしい仕事をする、より素晴らしいものをつくる事」 です。
即ち、60点の仕事で100の報酬を得る者よりも、報酬が60でも仕事が100点の方が素晴らしい という世界。

そもそも今日の発展を支えてきた日本人の素晴らしさはそこにあったはずで、そこが長けているのが日本人だったのでしょうが、今は違う という事。



だとしたら自らはどうあるべきか。

今一度、胸に手を当てて考えなければな と。


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