仕事用の椅子が壊れました。
壊れたのですが、ほんの一部分のパーツを交換すれば使えそうです。

そこで、椅子の修理ができるか問い合わせたところ、「修理は受け付けていない」と。

なので、該当のパーツだけ取り寄せられるか問い合わせたのですが、どうも「ここの部分のこのパーツ」という説明が難しく、先方も「シリンダー部分ですか」と専門的な言葉で聞いてくるので話がかみ合いません。

なので、「写真送りますので、確認して頂けますか?」と訪ねたところ、「そういう対応はしておりません」と。


「できれば新しい物に買い換えて頂ければ」


それは解ります。
でも、ケチって買い換えたくない ってのと違うのです。

今回の場合、買い換えてしまうと、たった一部分の破損のために、本来使えるべき部品全てがゴミとなる訳で、それは「正しくない」と思うのです。ゴミにしない為に誰かに譲ろうにも、壊れたままだと譲れません。


「ものは大切にする」

「壊れたら治す」


そんな当たり前の事が、いつの間にか


「適当に扱って壊れたら捨てる」

「大量生産で安く仕上げて、大量消費する事こそが経済活動として重要」


って事が当たり前な世の中になっていた、という事です。


が、後者のままであり続ける事はできないでしょう。
「今のご時世」とは、後者が淘汰されている、というだけなのかも知れません。


価値のあるものは大切にされるので、いつまでも存在し続け、価値の無いものは捨てられ忘れられる。

ただ、それだけなのかもですね。


言える事は、後者の様な心持ちのままだと、偽物としか付き合えない、という事 でしょうか。

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