先日見たテレビ番組で、ある方が使われていた言葉「カウンセリングの限界」。
悩みを抱えた人から相談を受け、言うべき事を言い、すべき事をしても、それを受け入れて行動するかしないかは「相談した人」次第。
相談した人が、それを受け入れる事をせずに「墜ちていった」のを見た時、「カウンセリングの限界」を感じた、と。
もう結構経ちますが、似たような事があったのでとても共感しました。
カウンセリングなんて立派な事ではありませんが、「良くない」側へ進み、苦しんで助けを求められた事に対して自分なりに応えたつもり。言うべき事、すべき事をしたつもり。
でも、結果、良くない方へ墜ちていき、何故か自分が悪者的な扱い。
その時、「人を変えるなんておこがましくて、そもそも出来ない事なんだ」と気付きました。
変える事が出来るのは唯一自分自身のみ。
誰に何を言おうが示そうが受け入れて行動するのは当人の意志次第です。
ただ、
それもまた「絶対」という事ではないのでしょう。
そういう事もある、と。
それか、渡し自身が不条理や矛盾を受け入れられるようになる為の訓練だったのかも知れません。
それとも「取捨選択」は行うべき、何でも受け入れればいいというものではない、という事を学ばされたのかも知れません。
もっといろんな経験を積めば解ってくることなのでしょう。
悩みを抱えた人から相談を受け、言うべき事を言い、すべき事をしても、それを受け入れて行動するかしないかは「相談した人」次第。
相談した人が、それを受け入れる事をせずに「墜ちていった」のを見た時、「カウンセリングの限界」を感じた、と。
もう結構経ちますが、似たような事があったのでとても共感しました。
カウンセリングなんて立派な事ではありませんが、「良くない」側へ進み、苦しんで助けを求められた事に対して自分なりに応えたつもり。言うべき事、すべき事をしたつもり。
でも、結果、良くない方へ墜ちていき、何故か自分が悪者的な扱い。
その時、「人を変えるなんておこがましくて、そもそも出来ない事なんだ」と気付きました。
変える事が出来るのは唯一自分自身のみ。
誰に何を言おうが示そうが受け入れて行動するのは当人の意志次第です。
ただ、
それもまた「絶対」という事ではないのでしょう。
そういう事もある、と。
それか、渡し自身が不条理や矛盾を受け入れられるようになる為の訓練だったのかも知れません。
それとも「取捨選択」は行うべき、何でも受け入れればいいというものではない、という事を学ばされたのかも知れません。
もっといろんな経験を積めば解ってくることなのでしょう。
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