「祈ったところで何が起きる訳でもなく、願ったところで望みが叶う訳がない。想いは言葉や態度で現わさないと届く事は無い」

と「信じる」事は自由です。

「科学的根拠が無いから」

という「裏付け」を「信じる」事もまた自由。


でもそんな科学を持ってしても「何故ものは下に落ちるのか」という日常の基本的な現象ですら解明されていません。

ほとんどのことは「不確か」であって、「正しい事」も時間とともに変わります。

そういう意味において、科学やなんたら学の類も、全て「信仰」ではないでしょうか。

宗教や哲学、なんたら思想(なんたらばっかし)も当然信仰の対象です。

即ち「何が正しいか」「正しいかどうか」ではなく、「何を信じるか」という事。


たとえば、大切な人の体調が悪い時、回復する事を願ったり祈ったりする事の「効能」が「あるのか無いのか」はどうでもよく、「回復を願うと叶う」と「信じてそうする」事。

「花は人を癒し、想いを届ける」事もまた信じてそうすればいい事。

たぶん、世の中のたくさんの人が「愛情に基づいた美しい想い」を抱き、願う事で世の中はもっと素晴らしいものになると思います。ものやチカラやお金の多い少ないで優劣をつけるのではなく。


最近、身の回りの人が亡くなったり体調を崩したりする事が頻繁に起こっていました。
たぶん、そんな事を考える機会だったのかもな、と思ったのでこんな事書いた次第でした。

posted @ 11:32 feedback (2)
kakko 2008.5.8 13:15
また遅れてしまいましたが。。。

誕生日おめでとうございます♪

自分の誕生日に、これまた深い日記でございますね。
あっ、うちの相方がお花喜んでました!
OZ 2008.5.8 22:40
はじめまして。
おじゃまいたします。

ちよ3さんの「思い」に、とても「共感」が出来ます。

自分も最近よく思うのですが…
「思い」は「現実」になるという事なのです。
「言葉」にすると、それは「言霊」となり、「現実」になります。

だとしたら、ポジティブな事を考え、自分も含め周囲の人達を楽しくさせ、素晴らしい方へ変えていく事が出来ると思うのです。

なんだか、自分の「思い」を書き連ねてしまい失礼致しました。