随分「上から」的な言葉ですが「いとしきものたちのために」。

「愛しき人の為に」何かを行う事はとても楽しいものです。

「人のためにとかって言うけど、自分の為にとか自分は無いの?」

そう思われたり言われたりする事、時々ありますが、でも、そんな事を言う
「愛しき人」の為に何かを行った時の喜びや嬉しさは、「愛しき人」が
感じた喜び・嬉しさを遙かに上回ったものだと思います。思いませんか?

愛しき人が喜ぼうが悲しもうがどういう反応をしようが構わないのです。
そりゃ、喜んでもらえれば嬉しさ倍増ですが、それはただの結果の話。

何かをする事で世の中と関わっていられる、という事。

それは、そこに自分がいるという事の証明。自己表現でもあったり。

しかも、その「何か」は「愛しき人」と関わりつつ行えるという喜び。


ずっと前、会社を辞めた時、
「自分のために、自分が満足するために、何かを作りたい」
という欲求を満たすべく行った事。とあるソフトの開発作業。

それは、とても虚しいものでした。

誰のためになるの?これ? と。

自分のためにはなるけどね と。

その時、1日何十本もの電話対応をしつつ完全分業化されていない
開発業務・運用業務・サポート業務、はたまた管理業務を平行で
行っていた事を「苦」と感じていた自分が愚かだった、と気付いた訳です。

「自分」とは自分以外の存在に対して何らかの影響を与える為の存在。
自分以外の存在は「自分」に影響を与える存在。

自分 と 自分以外 が存在している事こそが「生きている」という事。
自分 だけ存在している、という状況は「死んでいる」のと同じ。

自分以外の存在が自分に与える影響は良い事も悪い事もあって。
悪い影響を受けるのが嫌だから、悪い影響を与える存在を拒絶する、
という事は「逃げ」。

自分との違いを怖れ、衝突と対立を怖れ、「受け入れる」事をせずに
「目を背ける」という事。
それは、「絶交きった」と言って村八分をカマす子供と同じ。
自分から逃げた後ろめたさを正当化する為に、そんな気持ちと行為に
同意してくれる人とつるんだり。タチの悪い「類友」。


あんまり忙しすぎたり、余裕が無くなりすぎると、そんな「類友」チームの
仲間になりかけて、傷の舐めあいをしたくなったりします。

だからこそ冷静に。気をつけろ自分。

忙しいのはイイ事。もちろん。
このご時世にそんな忙しい人なかなかいないから。

自分の周りの人達は漏れなく「いとしきものたち」だから(一部例外を除く)
彼ら・彼女らと楽しく・仲良くやっといて下さいネ。千代谷さん。ハイ。


「いとしきものたち」がみんな幸せだったらイイですね。
「いとしきものたち」が不幸だったら自分が不幸だもんね。


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