たぶん当たっている答えから書くと「一体感」。

バンドやってた頃に感じた、「グルーヴ」と呼ばれる「それ」。
息の合う仲間と酒を飲んで楽しんで、気分が高揚した時に感じる「それ」。
スポーツ大会なんかで仲間の勝利が自分の事の様に感じられてバンザイしたり叫んだりする「それ」。
夫婦の営みで感じあい、辿り着いた時の「それ」。

他にもいろいろありますね。

仕事だと、相手に「自分の為に働いてくれた仲間」だと認められた事を感じた時の「それ」。
特定の目的・イベントなんかを、仲間と共に神経がすり減る思いをして成功させた後に分かち合える「それ」。
困った事を打ち明けて、自分を受け入れてくれた時に「ふっ」と楽になる様に感じる「それ」。


己は全てであり、全ては己である 的な万物の理を示唆するかの様なその「感覚」は誰しも感じた事があるはずです。出会った人、関わった人には全て意味があり、必然的に結ばれたり離れたりするのでしょう。


愛していたり大好きだったりする人に対しては

「出会えて良かった。ありがとう。」

って素直に思えたり、言えたり、表現が出来たりします。


でも、そうでない人。
「自分と違う人」にはそうは思えなかったり言えなかったり、逆の表現をしてしまいます。

大人は、子供に対して「スキキライするな!」と言いながら、自分では平気で「スキキライ」をしていたりするものです。自分もそう。

「みんな大好き」ってのは無理かもしれませんが、たぶん「コミュニケーション」の目的・到達点ってそんな所なんだろうな、と。

許し合い、和解し合う事。


「嫌いだ」って思ってた相手と「それ」(一体感)を感じる事ってとても大変かも知れませんが、出来た時・そこに着いた時の喜びは、愛している相手と感じる「それ」以上の格別なものですね。たぶん。

それ、解ってるから、「嫌いだ」って思っている相手がいる時、「自分を認められない感」に苛まれるのでしょうね。

でも、それを解っていると、与えられた「縁」を踏みにじったり、放棄したりする事が無いから、解ってた方がお得なのね、と思ったりする酔っぱらい男でした。(ビール2本)

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