SF作家は近未来に実際にそうなるであろう世界を、お話として綴ります。
以前であれば、30年後・50年後の未来をリアルに描けたものだろうと思います。

恐らく、当時予想し得なかった現代社会のSF的側面の進化速度。
進化速度を加速させている基盤を「IT」って呼んでいますが、現代の人類は電子媒体を利用する事で、当時は魔法の様に思えていた事を次々と現実のものにしていきます。

例えば、現実離れした未来のデバイスであったテレビ電話。
子供でも所有している「ケータイ」という端末で実現されています。
ビデオチャットも然り。

だから、「突拍子も無い現実離れした発想」ってのが出にくくなってるのかもな って思いまして。

ITの仕事をしてるので、近々起こる事、即ち市場に提供される新しい技術や商品は日常的に把握してます。

「自分がそれに着手する前に、大手が提供してしまっている」 という現実。

それこそが、自分の発想に「限界」の様なものを作っていたのだと思います。

大手が提供していれば、それをハンドリングする為の知識なり技量なりを身に付ければ自分のものとして振舞う事ができる、と。そういう仕事だ、と。それが関の山だ、と。

人に役立てる様な事をする のが仕事の目的だとしたら、その考えは正しいでしょう。

でも、それで割り切れず、何かあきらめの様な感情を抱く自分がいました。

そう それが 発想・自己表現といった領域な訳です。


技量で覆われた発想は使い物になりません。
と言うかそれを「発想」とは言わないでしょう。

技量ゼロの状態で興味がある事 - 主に「新しい事」 - に取り組む時、いろいろな想像や発想、技量を身に付けた自分の姿が浮かんできて、希望に溢れウキウキするものです。

でも、実際に技量を身に付けてから同じ事をしても、同じウキウキ感は得られません。

少しだけ先の時間にいる今より少しだけ進んだ自分、実際に少しだけ進んだ自分に敬意を抱く自分、それを過ぎてしまえば何とも思えなくなります。

だから、いつも 「少しだけ先の時間にいる今より少しだけ進んだ自分」 が想像できる様に。
突拍子も無い様な常識外れの様な夢や発想を持つ事で、高速な現代社会の進化速度に追いつかれない様にしないとな と。

いろんな事を経験する、いろんな場所に行く、いろんな人と会う。
理論でどうにかするのではなく、そうする事が発想なり想像力なり、夢を持つ事の糧になるのかもですね。


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