ITが進化を遂げていく方向、進化続けるであろう方向性・用途は「コミュニケーション」だと思います。
ITによって何が変わったか、何が変わっていくか、って真っ先に思い浮かぶのが「コミュニケーション」という方向性。
「人のために」というよりは「人と人のために」っていう方向性。

具体的な実装は携帯電話。
ソフト・ハードともコミュニケーションの道具として完成されています。

ソフト面ではメール・SNS・BLOG・IMSといった類。
少し前までは「メールチェック」という行為で済んでいましたが、今はどうでしょうか。
知人のBLOGを見たり、コメント付けたり、mixiの日記読んだり、そうしているうちにIMSでメッセージが届いたり。

それらのチェックなりコメント返しに相当な時間を使ってないでしょうか?
仕事に影響が出るほど時間を割くことになってないでしょうか?

それらは自分が子供のころには経験の無い「新しいコミュニケーションのカタチ」です。
経験が無いから経験して自分のモノにしていくしか無い訳です。できるだけ楽しんで。

空間・時間を超えて人と人が触れ合う、という事。
それは今までできなかった事。
SNSなんかで知らない人や懐かしい人と出会ったり とか 今はそれが新しいスタイルですが、時とともにそれらは当たり前の事となり、更には文章や写真ではなくリアルタイムな視聴覚レベルでのコミュニケーションが当たり前になるでしょう。

それらは、現在はソフトウェア上で実現されていますが、やがては「いつでもどこでも」利用できる携帯端末でそれらが可能となる、即ちソフト・ハードがセットの実装が成されていくでしょう。遠くない将来。

さらに、現在の、ITを利用したコミュニケーション手段は「理性」によるもの、具体的には文章や絵によって行われますが、実際のコミュニケーションは感情を伴うし、そもそもそちらの方が大切です。
「メールや掲示板では感情的にならない」ルールが存在しますが、それは「ITによるコミュニケーションでは感情的な対話は出来ない・難しい」事に基づいています。

よって、怒りや愛情といった感情をITを利用してやり取りする、といった実装が行われてくるのではないでしょうか。ただしこの段階では「倫理」の実装が必要となると思うので簡単ではないでしょうが。

1と0で人間の感情すらやり取りできる様になったとしたらどうなるのでしょうか。
会ったこと無いけど付き合ってる、結婚した なんて例が出てきますね。

イイ事なのでしょうか それって? っていう辺りが倫理が問われてくる部分ですね。


もし、それ(感情伝達系コミュニケーションのIT実装)が出来ない事が証明されれば、本当の自分・自己はこの物理世界とは違う場所にある、即ち霊的な世界の存在が証明される事になるかも知れませんね。

つまり、ITとは、万物の起源・万物が存在する目的みたいな事を解明する為の手段なのでしょう。
以前も書きましたが。

ITに携りつつ、こんな事を考えている渡しの一番の興味はソコなのでしょうね。
自分が何なのか、この世界が何なのか、自分が今生きている目的、それらを知り得るという事。
それを行う為に必要な力は与えられていて、理性によって「何故」を探究する事。

答えを悟った時は自己の存在が無くなる気がします。
だから、生涯をかけて答えの無い答えを探究し続けて。前世も後世もそうなのでしょう。
だから、自分が自分でいられる って事。

いろんな経験をし、いろんな時間を過ごし、いろんな感情を分かち合う機会があっても、
本当は 楽しい事も苦しい事もイイ事も悪い事も 喜怒哀楽も何も無い。

それが渡しの人生の真実の姿なのだと思います。
「一切は空である」という釈尊の悟りはそんな事なのかもな。

だから どうすべきか

考え続け、やり続ける、って永遠に繰り返して。

理性も感情も五感も無い「自己」があるから、それを「できるだけ楽しんで」 って事ですね。

だからこそ全ての根源である「自己」を汚してはイケナイのですね。

だから「そこを汚す行い」を見た時、黙っていられないのですね。



コレ 何の話だ??


posted @ 11:52 feedback (1)
千葉豪 2006.11.20 18:39
フラクタルの話じゃないか?