生徒が死に校長が死に ってニュースが流れてます。
これって「究極の逃げ」とも取れますが、ホントは「ギリギリの愛欲」ではないでしょうか。
誰でも愛されたいものです。
誰かに必要としてもらって、自分の価値を感じたいものです。
それを感じられなくなる、自分が必要とされてない って感じて、「死」を持って、「ホントはいいヤツだったな」「死ぬことなかったのにな」「気付いてやれば良かったな」なんて事を、「愛されたい人に思われたかった」 って訴えたいのではないでしょうか。死んじゃった人は。
愛されたい から 哀れんで欲しい かわいそうだと思って欲しい
親として、子に対する一番の責任は 愛する事 です。
子だけではなく、関わる人に対する責任であるとも渡しは思います。
愛する という事をいやらしい事だの、男女間だと許されないだの、学歴と知識があって子を持たない晩婚な現代人は曲解し、「歪めた知識」として認識し、性欲だのと混同しているのかもしれません。
家族を愛する 隣人を愛する
それはとても尊い事で、大切で、素晴らしい事です。
時には叱責し、時には突き放し、時には共に過ごし、感情を分かち合う様な時間を過ごすという事。
信じてそっとしておく、という事も然り。
それは自分の親にして頂いた事 そのものでないでしょうか。
人の親であれば、人の師であれば、なおさら人に「そうしなければ」ならないのではないでしょうか。
「そうされたい」と願うのではなく「そうする」という事。
「愛されたい」のではなく「愛する」という事。
傍観者の様にテレビや新聞を眺めるのではなく、今、すぐにでも「それ」は出来る事だと思います。
ほんとにちょっとした事。
自己の存在は愛によって育まれて 今、生きている だからすべき事は・・・
普段忘れかけてる様な事。
愛欲にまみれて堕ちていきそうな時、そんな事を思い出せますように。
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