渡し自身の心持ちが常に変化する様に何であれ不変のものは無い と。
だからこそ、「常に」「必ず」という事は無い という事なのだな と。

固めた決意 熱い想い 描いた夢 それらですら不変では無い訳です。
時間と共に想いが薄れたり、決意がゆらいだり、別な夢を抱いたりしてしまいます。

だからこそ そんな「真理」を知らぬまま、甚だしく勘違いしたり思い込んだりしたまんまやり続けたりのめり込んだりする事、そういうものがある事って幸せな事なのだな っても思いました。
追い詰められても、苦を被っても「思い描いた甚だしい勘違い・思い込み」があるから乗り越えられる、と。
「乗り越えた先」しか見えていないから。


また、「決意・想い・夢」みたいな「良い」と思われる類のものが不変でない様に、「不安・怖れ」も不変で無い訳です。

が、そんな「良くない」と思われる類の意識は、その状態が「永遠に続く」「不変だ」などと思い込ませたり勘違いさせたりするものだよな と。
自分にもありますが「どうせこうなるんだ」っていう思い込み・諦めもそういうものですね。

それに立ち向かえるか と自問した時の答えは「いいえ」。
ほんとは 諦めてるから とかでなくって 怖いから なんでしょうね。

起きてもいない事に対してビビって何もしない自分。
それがイヤになってますます「良くない想い」が深くなるのかもですね。

それでもコラえて何とか進む事もまた「生きる」って事だと思います。

でも、自分はそんな風には生きたくないな って思いました。

っていう思いもまた不変でない って事なのでしょうね。

だから、こうやっていっつも考えたり書いたり、これからもそうしていくのでしょうね。

っていう事すら不変でない って真実だと思いますがキリないですね。

だからこそやっぱり甚だしく勘違いして甚だしく思い込んで「日々精進」なんて語っていたいな と思いました。


そう思える今の自分は人より幸せなのかもな とも。
そう思えるのは自分の周りの人がそうしてくれるからなのですね と。

それが勘違いであっても思い込みであっても、そう思い続けたいです。


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