確かそういう名前の桜。


来月の運動会、広報委員としての撮影があったり、その次は披露宴の撮影があったりと、5D3にするともっと良いかなー とも思うのですが、5D2の画は捨て難く。


買い増し・・・ ですか・・・

posted @ 17:15 feedback (0)

書くまでもありませんが

ブログのデザイン、全面的に変更しておりました。

見ればわかるってね はいすいません

posted @ 17:27 feedback (0)

最も解像する絞り値、レンズによって異なりますが、だいたいf8前後とかその位。

f22まで絞ると小絞りボケが発生して解像感が低下します。

だから、「絞ってもf11程度まで」 と言われていたりしますし、Canonサイトのサンプルを見ても目一杯絞らずに解像力が最も高い絞りで止めていたりします。

が、

本来、写真表現における絞りの目的は「被写界深度のコントロール」にある訳です。
解像云々は2番目以降。

「解像している写真を撮りたいのだ」
「解像している写真が素晴らしいのだ」

そう思うのであれば、「絞りはf11程度まで」が正解でしょうが、写真表現は解像力より被写界深度が遙かに大切な訳で。

そもそも「解像している写真が素晴らしいのだ」なんてのは、「写真の善し悪し」ではなく「カメラやレンズ性能の良し悪し」の話です。

そういう方は、中判カメラとか高級単焦点とか揃えて、なんたらチャートとかを撮って、「おおすごい解像だ」って喜んでいてくださいませ。

posted @ 11:40 feedback (0)

絵を描くためには、絵をどうやって描くかイメージしなければ描けない。

でも、写真はシャッターさえ切れば撮れてしまう。

「ボタンを押すだけで絵が描けてしまう」

という事の功罪。


写真を始めた頃。

最初のカメラ、EOS 30D。

そこそこ連写できる事も手伝って、かなりシャッターを切っていた。

とにかくたくさんシャッターを切り、「どれか当たる」と思って切っていた。


経験を重ねるほど、シャッターを切る回数が減る。

「どれか当たる」のではなく、「こういう画を描く」 ように変わっていく。

最初に「描きたい画ありき」になるから、「どれか当たる」感覚とは全然違う。

経験の浅いうちは「シャッターを切った後」が大事。

経験を積むほど「シャッターを切る前」が大事になる。

でも、

撮ったことのないような被写体に出会うと、やっぱりたくさんシャッターを切る。


「シャッターを切った後が大事」

っていう、初めの頃の感覚は、実は

「どれがイイのかワカラナイ」

って事。


どれがイイかワカラナイから、撮りまくるしか無い。


そこ、

それが全て って言ってもいいくらい最高に重要なとこ。

「自分はこれがイイ」

を知る事 そういう感覚を得る事が最高に大切。


仕事の写真 写真展で人にお見せする写真

ってなれば、今度は

「人はこれがイイって思うだろう」
「人はこれを喜んでくれるだろう」

っていう感覚を持って写真を撮ることが要求されてくる。

ひとりよがりでない写真。


でも、

そこを通り過ぎれば、やっぱり

「自分はこれがイイ」

ってとこに戻る。

そこ、「考える」ことの終着点。

だから、一番大事。


「自分はこれがイイ」

って感覚を持って初めて

「こういう画を描きたい」

って感覚が芽生えるもの。



自分はね。

そんな風に思っています。

「自分は」

posted @ 23:57 feedback (0)

「写真」は撮れない。

決して「写真」を撮ることは出来ない。



しかし、



「水芭蕉の写真」は撮ることが出来る。



身の回りを見れば解るだろう。写真を撮っている人がどういう人か。

posted @ 21:09 feedback (0)