
今年最後の日。
毎日空を撮るのも最後の日は雪。
見た目以上に凶悪で、近くのコンビニまで行っただけで凍えそうになりましたとさ。
だったらそうと解るように撮れ ってそんな時間を作れず歯切れの悪いまま〆。
良いお年を~
posted @ 15:40 feedback (0)

「毎日見ても飽きない写真がいい写真なのだ」
って言う方がいました。
その方にとってはそうなのでしょう。何も間違っていません。
でも、人に見せたい とか、もう少し思ったように撮りたい って場合は話が違います。
人に見せて感動を与えるような、心を動かすような写真 って、自分の写真を人に見せたり、自分で人の写真を見たりしなければ撮れません。
撮ってパソコンの中に置いておく事や、家に飾っておく事は全く悪いことではありませんが、少しでも上へ登りたい と思うのであれば、とにかく人に見せて、人のを見て、考えて試してまた見せて が大事です。
批判でもされるようになったらシメたもの。相手の気に留まった って事。
自分の事って以外とわからないものですが、批判されたり褒められたりした時に、「ああ」って何か気付くものがあります。
それは、刺激的な道しるべ。
posted @ 20:12 feedback (0)

先週から預かってるパソコン、土日も手を休めず復旧に当たってるけどナカナカ手強く。
ダメかなー と思いながらHDDを買って、家に戻ろうとしたところ。
posted @ 20:08 feedback (0)

住宅街。枯れかけのあじさい。
黄色い葉に赤い花。
これから寒い冬をじっと耐え忍び、春には若葉を見せてくれるのだろう。
次の夏には花が咲き、秋に枯れてまた次の冬を越す。
そんな風に彼は生き続けていく。
人間も彼と同じ「生き物」。
だけど、現代の人間は、金や権威の類に依存しなければ生きる事すらままならない。
どこかおかしな生態系システムの中に置かれている。
遙か古代の人間は、金や権威、電気なんかに依存せず、彼のように生きてきたはず。
言葉を使わない者は、その在り様・生き様によって、自らの存在の意味を表現している。
それは、自然界の摂理や本来の生態系、生き物らしさといった、生物としての根源的・本質的な事。
彼らの「御姿・御業を拝見させていただく」気持ちで接すると、世界の見え方が変わる。
宇宙という世界は、幾億光年の広大な空間だけではなく、いつも近くにある。
見えなくても、感じることはできる。
写真に収める事も、できる。
posted @ 07:34 feedback (0)




























