ある写真系の掲示板での投稿から抜粋。

霞掛かった湖面と言う絶好の素材があっただけで後は写真撮影の基本を踏まえてシャッターを押しただけです。
あなたにでも同じような写真は撮れますよ。
何枚も撮るから100ショットに数枚ぐらいは使える絵があります。
銀塩でも立木さんが有り余る予算で同じ方法を使っていました。
こんなやり方では見る人の魂を打つ絵は出来ません。

ある女性写真家に対する意見。

格好の素材に出会ったら誰でも同じような写真を撮れるのだから、一瞬を切り取れる事こそが素晴らしいのだ の様な事が書かれていました。

でも それ よくわかります。自分もそんな風に思っていたから。
「こういう風景に会ったらシャッター切るだけでしょ? 誰でもできるからスゴイとは思えない」

感性のカケラも無い、撮る事の本質も知らない、ものの考え方でした。

撮る事自体は1番目ではない、という事。


上の例であれば、(写真を見た訳ではありませんが)「霞がかった湖面」を美しい・素晴らしいと感じ、理想の気候や光の条件となるまで、その場所に何度も通い詰めたのでしょう。何年も何回も。
そんな「理想の美しい光景」に出会うという事。嬉しかった事でしょう。感動した事でしょう。

まず何よりも、その場所を「美しい」と気付く事。
もっとも美しく映える方向や構図、光や気候・時間の条件などを突き詰める事。
実際に撮ってみて確認し、より良い条件を求めて同じ場所に通う事。

そういった事を繰り返し、理想の光景と出会いシャッターを切ることでようやく「人に見せられる」写真を作る事ができる訳です。

被写体との「狙った出会い」とはそういう事。
そういう「仕事」は明らかに「写真家」の仕事。「カメラマン」との違いのひとつかも知れません。



被写体とのもうひとつは「偶然の出会い」。

こちらは説明するまでもなく、そういう事です。GRなアレです。



先に書いた方は、こちら(偶然)がエラくて、前者(狙った出会い)はたいしたことない、と言いたいのだと思います。

間違いかどうかではなく、了見が違うだけ。


↓特に意味なし@中華そば幸楽苑

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