何が本当に良いもので、何が悪いものなのか。

例えば 写真を習ったり見たり撮ったりするうちに、良い写真を見分ける目が養われたりします。

んでも、その「良い」の基準はうまく理屈だてる事が出来ません。

何故か。

それは、「こうだから良い」「こうだから悪い」といった情報は、本来良い悪いを判断する為の「こころ」、いわば「感性」にとって余計なものでしかない からです。

人間の深い部分にある「良いものを良いと感じるこころ」は誰しも似たようなものなのに、「誰々がいいと言ったからイイ」「ここがこうだからイイ」「有名な人のものだからイイ」「人それぞれだ」といった情報や知識によって、正しい判断・正しい感覚が阻害されている と。

「いいと感じるからイイのか?」

その通り。

ただ、その「いいと感じる」感覚が、素直なこころから湧き上がったものなのか、何らかの理由や条件に当てはまるからいいと感じたのかでは大違い。後者は「感動」ではなく「錯覚」でしょう。


純粋なこころは誰しも持っているもの。不要なものが覆い被さっているだけ。

時に、不要なものを取り払って、純粋なこころからの声を聞き、自分と向き合う。
誰しも欠点はあり、たくさん悪い事をしているもの。だから、決して卑下する事なく。

純粋なこころで向き合う相手、見える世界は、良いものは輝いていて温かく、悪いものは暗く淀んで冷たいもの。


少なくとも自分はそんな風に思い、感じます。

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