このところ、写真教室から遠ざかっていた。
仕事のため参加できない事がほとんどだが、振り返れば、参加できたのに参加しなかった事もあった。

先生が風景写真家である事から、参加メンバーはほとんど風景写真を撮ってくる。
自然の壮大な風景は素晴らしい。自分もそういう景色に出会い、撮りたい と思っていた。

しかし、現実的には街を離れて野山へ写真を撮りに行く事などなかなか出来ない。
ましてや冬期間である。

それでも、足 運ばなきゃ 時間作らなきゃ って思ってた。
が、実際は足を運べなかった。時間を作れなかった。作らなかった。

だから、後ろめたい気持ちがあった。写真教室へ行く事にためらいがあった。
結果、2ヶ月くらい教室へは顔を出さなかった。


でも、今日は 行こう と思い立った。

3ヶ月クールの教室なので、今日が一旦終わりの日。
次の3ヶ月は花展に向けた準備などで今まで以上に教室へ参加できないと思ったからそれを告げようと思った。

「次の3ヶ月は休みます」 と。

写真をプリントして教室へ持っていく。その為に写真を選ぶ。
だから、持っていく写真を撮っていなければならない。
だから、いつも何らかの良い景色や風景を何とか撮ろうとしていた。

が、それをやめようと思った。やめる事にした。やめていた。既に。

素晴らしい風景に出会い、感動する ってのは「義務感」によってそうするものではない。

そうやって撮った写真は、少なくとも「自分らしい」写真ではないって事に気付いた。


自分は日常的に花を撮ったり、街や家の中でのスナップを良く撮る。
感動というよりは、自分にとっての撮る楽しみ がそこにあるから。
だから、そういった何気ない日常的な写真の方がよっぽど自分らしい。

blogに載せるような日常のスナップ。
そんな、いつもはプリントしないような写真をプリントして教室へ参加した。

そこには久しぶりに会う仲間がいて、暖かく迎えてくれた。
そして、自分の写真を見て手放しに喜んでくれた。
何ヶ月分か撮り貯めた写真を見て、自分がしていた事・考えていた事・悩んでいた事を理解してくれた気がした。
会えなかった期間の説明など要らなかった。

「写真の撮り方」など絶対に聞いてこない先生が、撮り方を聞いてくれた。

その時、自分も先生も仲間も、みんな「違う」けどそれでいいんだ って思った。

自分が得意な事と、先生や仲間が得意な事は同じではない。
自分が好きなものを誰かに合わせる必要はない。
自分が好きだと思うものに素直に向き合っていればいい。

そんな風に思った。


「またああいう写真見せてね」

「はい!また来月もよろしくお願いします」


大きな つかえ が取れた気がした。


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